ベーシックインカムに賛成?反対? ←論点はそこじゃない。そろそろBI導入を前提に考えよう

最近また、ベーシックインカム(以下、BI)についての話題がちらほら目につくようになってきました。

が、そんな中で、日本経済新聞の記事『やさしい経済学』というコーナーで、BIの導入に反対する記事が連載されているのを目にして、なんだか悲しい気持ちになりました。

私はBIの推進論者でも否定論者でもなく、あえて○○論者と言うなら、“BI前提論者”です。

BIはその是非を議論したり賛成だの反対だのと言うようなものじゃないと思っています。BIを導入するのは当然で、ただどう導入していくかを議論しないとね、と。

というのも、逆にBI否定論者に問うてみたいのですが、AIが進歩して仕事の大半が奪われる未来において、BI無しで社会はどう保たれるというのでしょうか。否定論者は近い将来の日本社会を、国民にどう生きていけと考えているのか? 疑問でなりません。

AI時代はBI社会

BIは賛成だの反対だのとその是非を考えるものではありません。

寒くなる冬に向けて厚着をする、その冬服をどんなものにしようか? を考えるのが今必要なことです。暖かい格好を“しない”なんて選択肢はそもそも通常はありえません。

みんなが高度な教育を受けて、どうするの?

AIに奪われて仕事が減るなら、国民はもっと高度な教育を受けてAIに奪われないような仕事に就けるようになればいい、とでも言うのでしょうか。

そんなのはまるで、「一般人もアスリートみたいに冬でも短パンTシャツでいられるぐらいに体を鍛えて代謝を上げたらいい」と言っているようなものです。

冬に備える準備がそれですか? と、もはやどこまで真剣に言っているのか疑わしいレベルの話です。

国民全員がアスリートになったら、いったい誰が経済を回すんだ、実業を担うんだ、と。国民全員が高度な教育を受けて、いったい誰が経済活動や実業の“中身”を担うんだ、と。みんなで企画立案して、講釈たれて、…どうするの?

自然に逆らい続けても淘汰されるだけ

コンピューターやロボットがどんどん進化していく中、社会のあり方として「最低限の生活費を支給する」という仕組みの必要性を感じるのは自然のことです。

その自然に逆らって、旧態依然としたシステムのままでいたり、または更なる不自然さを極めていくようなより複雑な社会システムを推し進めていたら、その社会は早晩、環境の変化がもたらす淘汰圧に押し潰されてしまうでしょう。

(より複雑な社会システム = 生活保護だの子ども手当だの軽減税率だのといった種々の不具合に個別具体的に対処してより複雑化していく社会や行政システム)

是非ではなく「どう変化していくか」を前向きに議論する段階

社会の置かれた環境が大きく変化しつつあるのだから、環境に合わせて社会のあり方も変化させていく必要に迫られるのは当然のことです。

このある種の“自然現象”を、拒絶して凝り固まり複雑化していくのではなく、自然現象に対して前向きに「どう変化していくのがベストか?」を考えていくのが今、先進国の社会が時代に求められていることです。

おわり

体力のあるうちに変化しておかないと、いよいよヤバくなってきてから大変革を起こそうとしてもそれではその時には体がもたない可能性があります。

AIがガンガン進化して失業者や低所得者が増えてから対処しようとしても、遅いか、間に合ったとしてもその時の苦しみは余裕があった時のそれに比べて何倍もキツいものになるでしょう。

かといってその痛みを恐れてAIの進歩を故意にでも無意識的にでも停滞させたら、それはそれでその時は世界における日本の立ち位置が危ぶまれます。経済は微妙、技術はない、将来性もない、となれば社会(行政)システムうんぬんなど語っていられない国になってしまうかもしれません。

明るい未来のためには、できるだけ世界に先駆けてAIを進歩させていく必要がありますし、そうなるとその時には同時に社会システムにもBIを導入している必要があります。

論点はBIの是非ではなく、BIをどう導入するか、その中身にあります。

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